パイレーツとマイナー契約し、メジャーキャンプに参加していた桑田真澄投手(39)が26日、TBSの「筑紫哲也NEWS23」の番組内で現役引退を表明しました。(記事続きは、下記へどうぞ)
参考「桑田真澄」ウィキペディアWikipedia
桑田 真澄(くわた ますみ、男性、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市生まれの元プロ野球選手(現役期間1986年 - 2008年)。投手。右投右打。背番号は18。投手としては恵まれない体格ながら、理想的な投球フォームと、野球に取り組む真摯な態度によって、彼を模範とするプロスポーツ選手も多い。
引退を語る桑田投手。
サバサバしていますね。
燃え尽きて、もう悔いはないと。
そしてまた、野球の神様のお告げで、決めたという。
この年齢からの大リーグへの挑戦。
私たちには、想像も出来ないくらい大変な事が多かったと思います。
ほんとうに、お疲れ様でした。
そして、夢をありがとうございました。

桑田真澄
桑田真澄引退。激白、その決断の裏側
第二の人生は?
楽しみにしています。
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sponichi 2008年03月27日
【MLB】「燃え尽きた」桑田真澄投手、テレビインタビューで現役引退表明 通算173勝
パイレーツとマイナー契約し、メジャーキャンプに参加していた桑田真澄投手(39)が26日、TBSの「筑紫哲也NEWS23」の番組内で現役引退を表明した。
40歳の誕生日を6日後に控えた決断。球団からメジャー昇格のチャンスがないと通告されたことを自ら明かした。巨人のエースとして173勝を挙げ、昨季は39歳にしてメジャー昇格の夢も実現させた右腕は、フロリダ州ブラデントンの地で22年間のプロ生活に終止符を打った。
衝撃の発表だった。昨年に続き招待選手としてパ軍のキャンプに参加しメジャーのマウンドを目指していた桑田が、TBSの番組内で突然の現役引退を明かした。
「ここまで結果も良かったし内容も凄く良かったし、足首も順調にきた。メジャーに残れないということで引退しようかな、と。
GMから(メジャー昇格のチャンスも)ないと言われた。僕はメジャー一本しか考えていなかった。
いろんな理由があるんでしょうけど、野球の神様からのお告げ。
“そうした方がいいよ”と背中を押してくれていると思う。その道を進んでいきたい」
今オープン戦は5試合に登板し防御率1・80。16日のレッドソックス戦では703日ぶりの白星も手にした。
周囲を納得させる結果を残しながら18日のレッズ戦を最後に登板なし。
登板予定だった25日のツインズ戦の試合開始前後に球団から通告を受けたもようで、試合中に宿舎に戻ったという。
若手を育成するチーム方針と招待選手という“契約の壁”により、メジャーへの道が閉ざされたことで、ユニホームを脱ぐ決断を下した。
巨人を戦力外になり、海を渡った07年。6月に20歳からの夢だったメジャーのマウンドに立ったが、オープン戦でじん帯を断裂した右足首の痛みとの戦いを強いられた。
19試合で0勝1敗、防御率9・43で8月に戦力外。その時も引退を考えたが「やり残したことがある。やっぱり勝ち星をつけたい」と、9月に手術を決断。不完全燃焼に終わった昨年の忘れ物を取りにいく途中だった。
1年生からエースに君臨したPL学園で甲子園に5度出場し、2度の日本一。
名門・巨人でも長くエースを務めた。栄光に彩られた野球人生に見えるが、実は挫折の繰り返し。
95年には右ひじじん帯を断裂し、手術後の翌96年は棒に振った。巨人の最後の4年間も故障に泣かされた。
それでもその度に立ち上がり、大好きな野球に全力でぶつかっていった。
引退はキャンプ地入りしていた真紀夫人と4月に桜美林に入学する長男・真樹さんにも報告。
それでも26日には練習に参加した。同日のタイガース戦の登板予定リストにも名前が入っており“引退登板”になる可能性もある。
「燃え尽きた。悔いはない。キザな言い方かもしれないけど、野球が好きというのは自分のプライド。
残念な気持ちもあるけど燃え尽きることができた。これからは野球界の後輩を1人でも多く育てていけたらいい」
松坂や岡島ら、多くの選手から慕われた背番号18。
「心の野球」を掲げ実践してきた桑田が、プロ生活23年目、静かにユニホームを脱ぐ。